できることを一つずつ。そしてつながっていく。

地震があった時、私は東名高速のほぼ名古屋寄りの道でバスに揺られていました。

岐阜の郡上八幡にいる友人のところへ行く途中だったのです。

名古屋についてから、新幹線を待つ人々の様子が非常時であることを示していました。

千葉の友人たちから、無事を確認するメールが飛び交い、

新幹線の状況を示す液晶の情報と照合すると、関東以北で大きな地震があったことを

そのときはじめて知りました。


その後、友人から情報収集して、家族ともなんとか連絡がつき、

交通網がストップしてしまったので引き返すこともできないから、

ともかく郡上八幡に身を寄せることになりました。



友人家族のあたたかなおもてなしに、心和む一方で、

ニュースで知らされる事態の大きさに、被災地の方々の悲しみや苦しみの深さに、

何かしなければと思うのに、どうしたらいいのかわからない、、

日常を明るく過ごすことさえ、罪悪感や不安を感じて、

行き場のない思いにおろおろしていました。



そんな中で、友人が参加する願蓮寺クラフト展で売上の一部を義援金にしよう、

というお話が出ました。

友人が開く出張カフェで私も少しだけ雑貨を販売させていただくことになり、

少額でしたが、私の売上も義援金にすることができました。

お買い上げくださった方、ご協力ありがとうございます。

誰もが何かをしたいけれど、どうかたちにしたらいいかわからないときだったので、

少しでもかたちになる機会を作ってくださった願蓮寺さんや

クラフト展の主催者さん、友人に感謝します。




4日前、関東に戻ってきました。

クラフト展で感じた前向きな思いが少ししぼんでしまうほど、

まちは変わってしまっていました。

ガソリンもお米やトイレットペーパーも、買い占めにあってスーパーの棚が空に

なっています。

食パンを買うのに整理券制度になって、知らずにレジまできて、店員さんを罵る人々。

そして身近な人々と、この事態に対する感じ方やそこから来る行動の違いがあって、

無意味な心のすれ違いを繰り返していました。


そんなとき、北海道の知り合いの方から、笑顔を忘れないで、ということと、

大なり小なりみんな傷ついているのだから、元気な人がしっかりと心を保って

できることをしていこう、というような言葉をもらって、

とても救われた思いがしました。


計画停電以外の時でも、なるべく電気を使わない、暖房せずに厚着する、

感じ方が違う人を責めない、正しいと思うことは行動で示す、

友人たちとよく意見交換する、協力する、支え合う。

今、私にできることはそのくらいだけれど、

小さな積み重ねがきっとこれからを作っていくのだと信じて、

やってみようと思います。