札幌・小樽の旅 自分のやりたいことと向き合う時間

社会人になってから毎年恒例になっている友人との2人旅。

今回は、二人とも6月に北海道にいる、という偶然に感謝して、札幌・小樽をめぐる旅へ。

毎回、私たちはいろいろと行きたいところをピックアップするのだけれど、
いかんせん、出発直前に計画するのと、お互い向き合ってじっくり話す、というのが
この旅の目的みたいになっているので、観光は計画倒れ。。
もう、そのときの思いにまかせて、気になったお店に立ち寄り、2時間でも3時間でもしゃべる。
夜もほとんど寝ないで話す。
どうしてこんなに話すことがあるんだろう、と不思議なくらい。



最初は、癒されたいとか、のんびりしたい、みたいな理由で始まった旅だけれど、
二人とも会社を辞めることを考え出したあたりから、
話しながら自分のやりたいことを煮詰めたり、
一緒に考えたり、ときには背中を押してもらったり。

特に、今回の旅は、
自分のやりたいことと向き合う
相手のやりたいことをもっと知る
ということが大きな軸だった。




会社を辞めた。

という事実は、想像以上に自分を自由にした。
時間的にも、ものをつくる想像力をのびやかにするという面でも。
その一方で、自信、収入をコンスタントに得ている、という自信がないことが、
ものをつくることを「仕事」にするのか、
お金をもらうとはどういうことか、
継続的に活動するにはどうしたらいいか、
という具体的な問題とともに、不安を押し上げてもいる。


今まで、なんとなく、ものをつくって、人の手にわたって喜んでもらえたら、
というふうに思ってきた。
でも、なんでものをつくりたいの?なんで売りたいの?
という質問をされて、正直、もやもやなままの自分が恥ずかしかったし、
漠然とした思いだけでそれを煮詰めていないことに焦りもした。



旅の間、ずっと考えていた。



まだ完全ではないけれど、
私がずっと思い描いている「やりたいこと」は、


その人がその人らしくあるために、何かしたい。
さらに言うなら、
自分らしさを忘れてしまっている人に、自分らしさを思い出してもらうようなきっかけを作りたい。

何か、の方法はいろいろあるかもしれないけれど、私はものをつくることが好きだから、
そこからつながれたらと思う。


宿で寝ずに話した時にも出た話。
「どうしてこんなに、人の多様性を認められない人が多いのだろう?
 いろんな人がいていいのに、他と違うことをする人を攻撃的な言葉や態度で傷つける人がいかに多いことか」

社会人になって、特に感じてきた。
これは、お金になるかならないか、という問題にも大きくかかわっているだろうし、
生き残るためにはある一定のルールや価値基準のもとに行動しなければいけない、
ということにもかかわっているのだろうと思うけど。

お金にならなくても、大切なことはある。
そして、人は大切なことには、ゆくゆくお金を払うようになる、と私は思う。
また、生き残るためのルールや価値基準が、誰かの傷の上に成り立っているなら、
そのルールや価値基準がみんなを幸せにするわけじゃないんじゃないかと思う。
そんなもののために、傷つけられたらどんな思いがするか、一回みんなで考えた方がいいと思う。


京都の友人には、着物にも合うブレスレットを。
オフィスワークに疲れた友人には、少し自然なテイストのピアスを。
自分の道を見つけ、ゆっくりと歩み始めた友人には、像のモチーフのネックレスを。
そして、湿原の中で飲むお茶のために、雨や花のイメージのコースターを。
今までは、その人の雰囲気や共有した時間から広がったイメージでものを作ってきた。


これからものづくりをするにあたっても、
最終的には、顔をみて、相手を知りながらつくりたい。
その一環で、やっぱり「場所」はほしい。
訪れた人を包み込み、相手と私の間を流れる空気そのものを感じ取れるような空間。
ちょっと大きな夢だけれど、それは定住したころ考えることにする。


札幌のギャラリー兼セレクトショップで、面白い出会いがあった。
いろんな人が背中を押してくれていて、今、はじめたい、という気がする。
大きな夢へコツコツ向かうために、一歩一歩。