どこかで見た風景 記憶をつむぐ

昨日、あたらしくつくったものたちを写真に撮りました。

午後3時〜4時ころ、窓辺に出した白い小さな机の上にふりそぞく光が、

ちいさなものたちの写真を撮るのにちょうどよいということを発見しながら。



今、都内の友人が、雑誌を作っています。

「ゆがみ」というタイトルになったと教えてくれました。

( ゆがみHP:http://www.geocities.jp/yugami_chan/ )

はじめ、別の友人が、その雑誌に言葉を載せるというので、

その言葉に絵をつけてみない?というお誘いを受けて、参加することにしたのですが、

いろいろと雑誌編集人の友人やそのほか、この雑誌づくりに参加する人たちと話しているうちに、

「もっと写真とか、文章とか、雑貨づくりのこととか、載せたら面白いんじゃない?」

ということになりました。



常々、自分のしていることに自信がないので、

いいのかなぁ、、友達ならともかく、知らない人が私の写真や文章を読んで面白いんだろうか、、

という、ごにょごにょした思いもありましたが、

「どんなときに作ろうと思うのかとか、それともいつの間にか作っている時ってどんな気持ちなのか、気になる」

と言っていただけたので、意を決して書くことにしました。



書きながら、どういう流れでつくっているのか、それはどういう気持ちからなのか、

頭の中が整理されて、とてもよい機会になりました。

実際の「つくるときのきもち」という文章は後日発行される雑誌に載る予定なので、

そのときまた、発信しますが、

こんなことを思っているんだとわかりました。



私は、素材を見て、昔どこかで見た風景や、自分の好きな感じがふわーっと思い浮かんできたら、

それをいろいろ組み合わせてつくります。

つくるものは、特に限定しているわけではないけれど、今はアクセサリーや食卓まわりの小さなものを

ちまちまつくっています。


この「ちまちま」という感じが自分に合っていると感じます。

本当は、大きな布を作ったり、空間を作ることにあこがれているけれど、

どうもしっくりこない。たぶん、大きなものを作るには、もっと鍛錬が必要なのだと思います。

それでも、今は、ちいさなところに、色あざやかで、楽しいかたちをぎゅっと詰めて、

不思議な、だけど懐かしい、何かを想起させるような世界が広がる、

それが私のつくる世界です。



そうやって手を動かしているうちに、記憶から、新しいものがたりが生まれたり、

そのものがたりの登場人物が、友人に似ていたり、

今度はその友人を想って、またせっせと手を動かす。

そうしているうちに、ようやくかたちになります。


そして、ずっと前から思っている、みんながみんならしくいられる暮らしを願う気持ち。

これを無理くりものづくりのモチベーションのように言っていて、なんだか、自分でも

こじつけた感があったけれど、ものをつくることとは、きっと別の軸で、昔から

持ち合わせていた思いなのかも、と気付きました。

それが、ものをつくることを続けたいと思うきっかけになったのは事実だし、

私がつくったものを身につけてくれる友人たちからの言葉は、

私のつくる心を強く明るいものにしてくれることも確かです。

そして、それに応えたい、みんなの自分らしさにもつながってほしい、

そんなふうにして、別々にあった

「どこかで見た風景や記憶をつむぎながら作る」ということと「みんながみんならしくいられる暮らしを願う」

ことが、いつからか、一緒になったのだと思います。




古いヨーロッパの建具にはめられた深みのあるガラスのような



おどけた森のくまさん(予約済み)



みずみずしい青りんご



ロートレックの絵に出てくるパリ娘のような



おばあちゃんちの玄関にガラスの器に活けられたお庭の花



東欧の雑貨、マトリョーシカのような


カレル・チャペックのよく手入れされたお庭のような